毎年12月に「学生クイズ日本一決定戦」として行われる「MAN of the Year」(以下マンオブ)。
20年以上続く歴史あるイベントですが、学連加盟校の急減に伴うスタッフの減少もあり、「本当に今後、続けていくのか?」「続けていくとしたら、どのような形で続けていくのか?」ということが取り沙汰されています。
昨年のマンオブ終了後、学連会長から「来年はマンオブを開催するかしないかを検討する」という発言が出たのも記憶に新しいところです。
今回は、そのマンオブについて考えてみたいと考えています。
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<前提>~マンオブの存在価値はどこにあるのか?
・学生による、学生のためのイベントであること→その時代時代の学生が何を好んでいるかを反映することが可能
・「学生日本一決定戦」としての、20年という長い歴史を持つこと
もちろん、さまざまな存在価値があります。が、特に重要なのは、この「学生主体で運営」と「歴史」という2点かと思います。
abcのように学生の日本一決定戦を決めるイベントは他にも有り得ますが、この2点についてはマンオブに遠く及びません。
一方で、ここ数年、「マンオブ=難問長文の学生ナンバーワン決定戦」という見方がされています。参加者側でもその期待をしている人がいるし、スタッフもこの見方に縛られている感があります。
が、マンオブの存在価値は、「難問長文の~」というところにあるのかというと、私はそう思いません。
「難問長文の学生ナンバーワン決定戦」をやるとすれば、後述の通り他にもっといいやり方があります。
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<マンオブをとりまく状況>
・現在、学生を対象とした「基本問題ナンバーワン決定戦」abcが盛り上がりを見せている。
・その一方で、学生の中には、「基本問題」好き以外にも「難問長文」が好きな層が一定数いる。
・「abc」とのバランスをとるためにも、「スタッフは、どんなクイズが”面白い”と感じ、そしてどんな大会を開きたいのか?」「現在の学生がどんなクイズを求めているか?」に関わらず、「マンオブ」は長文難問よりにならざるを得ないのが実情。
なぜなら、もしマンオブが他の傾向の問題を出題した場合、「難問長文」好きの人にとっての目標がなくなってしまうから。
→ただし、学連スタッフがやりたいイベントは、本当に「難問長文」なのか?
今の大学サークルで行われているのは、本当に「難問長文」なのか?
・一方で、真の「難問長文の学生ナンバーワン」を決めようとしても、学生がスタッフになっている=スタッフは参加できない。「もし~さんがスタッフではなく参加者だったら……」というifの部分はついて回り、「ナンバーワン決定戦」としては問題がある。
・スタッフの少なさから、残されたスタッフは相当の激務。
しかも、「難問長文が好きではないのに、難問長文の問題を提出しなければならない」というスタッフが存在することも考えられ、モチベーションの点でも問題のクオリティの点でも課題があると(外から見ると)思われる。
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<提案> 社会人有志による「難問長文ナンバーワン決定戦」の開催、それに伴うマンオブの方針の再検討
以上の状況を好転させるため、社会人有志主催で「新世代による難問長文実力ナンバーワン決定戦」を開催することを提案します。 いわば、abcの難問長文バージョン、と考えていただければいいかと思います。
まず、難問長文を好む学生および社会人にとってみれば、大きなメリットが3つあります。
(1)問題面
現在、社会人で難問長文を好んで行う人は一定数おり(QUAPS、モンキーズ、コンモリ、北海道など)、学生の難問長文愛好者の数よりもはるかに多い。
これらの有志で問題を作成を作ることにより、低い労力で、現行よりもクオリティが高い問題をそろえることが可能。かつ、「スタッフ=難問長文好き」なので、モチベーションも高い。
(2)企画・演出・オペレーション面
経験豊富なスタッフを現行よりも多く動員することができるため、スタッフの質量ともに向上することができ、企画・演出オペレーションなどの向上も見込める。
(3)学生は全員参加可能
社会人が主催することにより、学連に入っていようがいまいが、学生ならば全員が参加可能。これにより、真の意味での「難問長文の学生ナンバーワン」を決定することができる。
そして、マンオブおよびマンオブスタッフにとっても、大きなメリットがあります。
基本問題の「abc」、難問長文の「新イベント」と、現在マジョリティの2大傾向のイベントが「マンオブ」以外で存在することにより、マンオブスタッフ自らの手により「マンオブ」は傾向を選ぶことが可能となる。 そのことにより、「今、学生が欲しているイベント」を実施することが可能となります。
単に「難問長文の実力ナンバーワン決定戦」を開催するのであれば、既に述べてきたとおり社会人がやった方がメリットが大きい。基本問題におけるabcのように。
にも関わらず、大学生の集まり=学連がマンオブを続けていくことにこだわるのであれば、「なぜ、大学生が自ら、(さまざまなデメリットがあるにも関わらず)マンオブを開催するのか?」ということを、もう一度考え直す必要があると思います。
僕の私見ですが、その答えは「学生が自ら運営する」「学生が決める、学生ナンバーワン決定戦」という点にほかならないのではないか、と思います。
学生が、その時代時代の大学クイズ研のムーヴメントを反映させた、そんなイベントを開催する。いわば「現在、大学クイズ研で行われているクイズの見本市」。それこそが、マンオブの存在意義なのではないでしょうか。
「一部の学生が参加できない」という大きなデメリットがあるにも関わらず開催するのは、そのデメリットを「生かす」だけの意義があるのでは、と思うのです。
ここ10年近く「マンオブ=難問長文」だったからといって、今後もそれを忠実に守る必要は全くありません。
といっても、「難問長文をやるな」ということではない。
スタッフ自らが、各大学クイズ研の状況や、自分たちがやりたいことをもう一度見つめ直し、その結果「難問長文を続ける」か「他の傾向を選ぶ」かを自分の責任で選ぶ、そのことが重要だと思うのです。
その枷となっていた、「難問長文の学生ナンバーワン決定戦にはニーズがあり、誰かがやらなければならない」という点に関しては、社会人が代わりに担う。だからこそ「マンオブ」は、学生がやるからこその意義やメリットを追及していっていただきたい……。
結果としてそれが短文になろうとも、難問長文になろうとも、はたまたSystemF風や愚問やイントロであろうとも……学生が自ら結論を出すことに意義がある、と思います(逆に言えば現状は、「自ら結論が出しにくい」状況です)。
毎年毎年、その都度学生に結論を出してもらうためにも、それぞれの傾向の実力ナンバーワン決定戦が社会人により開かれるのが理想と考えます。
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<ただ、すぐに新しいイベントもできないと思うので、現実的な提案も。>
"「形式」「問題傾向」「演出計画」などの根幹コンセプトについては学生が担うが、手足となるような「問題提出」「当日のスタッフワーク」については、社会人が協力する。"
これは今年からでも実施可能ですし、自分もできる範囲でお手伝いしたいと思っています。
現状の人数では、クオリティを維持するだけでも相当の制約がかかっています。
ただし、「学生主体」であることはマンオブの大きな存在価値と考えますので、根幹・ベースとなる部分はあくまで学生が担うべきかと考えます。
たとえば社会人は、「~問提出」「当日の手伝い」に関しては有志として関与する。
ただし、集まった問題を選定・改題したり、形式や演出を考えたり、当日動きを指示するのは、あくまで学生。
あと、フロントマンである司会も学生の方がいいでしょうね。問い読みは専門職に近いので、プロ的な社会人(りゃさんとか)でもいいですが、ベターは「りゃさんがコーチとして、学生スタッフにアドバイスする」ことかなあと思います。
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特に難問長文愛好家の方々、現役の皆さんのご意見を頂戴できれば幸いです。
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